遺せるもの

死について考えた。

私の心臓が今止まったとして、私はツレに何が遺せるのだろう?


悲しいかな、何もない。

ツレが新しい相手を見つけた時、「海苔蔵より、ずっとすごい!」と感動してその人と愛を深めることができるという点では、いいのかもしれんが。


ツレには数えきれない愛情をもらってきた。
なのに私は自分本位の自由すぎる生き方しかしてない。
貰うだけ貰ってこの世にバイバイするのは、あまりにも人でなしではないか。


私に、何ができるだろうか。

私はツレに、何を遺せるのだろう。





今日から少しずつ、掃除をしようと思う。
私が死んだら、このアパートも引き払うことになるだろう。その時に、ごちゃごちゃの埃まみれでは迷惑がかかる。
綺麗な部屋くらいなら、私でも遺せるかもしれない。


私には、何もない。
人並み以下のものしかない。
美しい容姿もない。
家事だって得意ではない。
批判くらいしか能がないが、それすらなまくらだ。

なぜ、ツレは飽きもせずこんなつまらない人間の側にいてくれるのだろう。


ツレは背が高い。
優しい表情をしている。
抜群に切れる頭ももっているし、愛情深い。
気遣いの人だ。
次の相手に困りはしないだろう。

ツレはきっと今日も、明日も、
「疲れた~~」と、それが普通であるかのように、私が居るこの部屋に帰って来てくれるのだろう。



最近の私の祈りは、「今日も生き永らえたこと」への感謝ばかりだ。

死が怖い。
己の、そしてツレの。

ツレには「俺より先に死ぬな」と言われている。努力しようとは思う。
「そんで他にいい男見つけろ」とも言われた。それは無理だと思う。ツレに死なれたら俺は恐らく生きていけない。全ての気力を失って、食うのもサボってそのまま死ぬ未来が見える。

私が先に死んだら、ツレに何が遺せるだろう。
こんな私に何が遺せるのだろう。
遺せるものは価値あるものでなければならない。
だが私に価値あるものなんざない。


返しきれないのだ。
ツレには。


聖書に、タラントという金銭単位を用いたたとえ話がある。
ざっくり言うと、一万タラントの借金があるしもべが、主人にそれを赦され帳消しにしてもらうが、後にしもべ自身に借金のある同僚をしもべが赦さなかったことから、しもべは最終的に主人に牢に入れられてしまうという話だ。

この話の主眼は「赦し」だが、私はこの返しきれない負債を思う。
1タラント=6000デナリ、1デナリが1日の日当なので、日本円にして日当10000円とすると、1タラント=6千万円。
1万タラントはその万倍である。だいたい6千億円か。

私がツレから受けているものの大きさの感覚が、これだ。返せないのだ。返そうにも、それに見合う価値のあるものが私にはない。
神の恵みも似たようなものなのだろう。私はツレから「返せないほどの借り」を実際にもらったから、感覚として分かる。

どう、私は応えればよいのだろう。
ツレも神も、特に何も言わない。



私がツレのためにできることは、本当に掃除くらいしかない。
我ながら情けないが、ならば掃除くらいはきちんとしておかなければなるまい。

いつ、この命が終わるかも分からないのだから。